江戸中期に星野家によって
もたらされた山形の仏壇づくり
もたらされた山形の仏壇づくり
山形仏壇は、享保年間(1724~1777)、江戸浅草で技術を学んだ星野吉兵衛が、山形に戻って伝えたのが始まりといわれています。もともと山形は、良質な漆や木材が豊富に採れたこと、職人が保護される環境が整っていたこと、そして最上川舟運の発達で関西方面から優れた技術や文化が伝わったことなどが重なり、仏壇製作はその後、急速に発達。明治期以降は、7工程に分かれた分業体制となり、現代に至っています。
荘厳に光輝く伝統的な金仏壇は
昔と変わらない日本人の心のよりどころ
昔と変わらない日本人の心のよりどころ
山形仏壇は、木地、宮殿(くうでん)、彫刻、金具、塗、蒔絵、箔押し・仕組の7工程に分かれて製作されています。250年の歴史の中で育まれた山形仏壇ならではの特徴は、ケヤキ材を使ったほぞ組による頑丈な造りや、奥行きのある精密な宮殿と彫刻、黒金具の落ち着いた輝き、温かな木目調の漆塗りなど。こうした特徴を受け継ぐ金仏壇は、昭和55(1980)年に国の伝統的工芸品指定を受けました。
●金仏壇 ●家具調仏壇
写真提供4点/山形県仏壇商工業協同組合
山形県仏壇商工業協同組合事務局
〒990-2431 山形市松見町8-11
電話:023-632-1516 FAX:023-632-1517
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