木の皮の繊維による日本最古の織物は
山里で守られてきた自然との共存文化です
山里で守られてきた自然との共存文化です
日本海から16kmほどの山間にある戸数30に満たない小集落、
鶴岡市関川に伝えられてきた、しな織の歴史を探ります。
鶴岡市関川に伝えられてきた、しな織の歴史を探ります。
しな織の起源について
山野にする草木の繊維を使った織物は、縄文や弥生時代から日本各地で作られてきましたが、関川のしな織の発祥ははっきりしていません。ただ、沖縄の芭蕉布、静岡の葛布とともに、しな織が「三大古代織」に数えられていること、そして村の家々に残された織機が中国から伝来した時代のはたおり機と変わらないことなどから、相当古い起源であることが推測されています。
原料は、周辺に生育するシナノキ
集落の周辺には良質のシナノキが多く植生します。シナノキは伐採しても15~20年ほどで成木となるため、また伐採し、しな織の原料にします。こうしたサイクルで長年自家生産が行われてきました。
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雪深い山里の暮らしの中で
かつて関川ではどの家庭でも、春から初秋の農作業の合間にシナノキの皮を採って準備し、雪が降ると女性たちがしな織をしました。翌春に仕上がった「しな布」は、家庭用に利用したり、買い付け業者(荒物屋)に販売して副収入源にしていました。
時代の変化が訪れた時
昭和40(1965)年代に入ると、化学繊維製品の流通とともに「しな布」の需要も減ります。危機感を感じた村人と業者は、連携してしな布を民芸品に加工して販売することを始めました。従来どおり原料の採取から織りまでを各家で行い、加工と販売を業者がするという方法です。こうして関川のしな織は、転換期を乗り越えることができました。
しな織を通して結ばれている
関川集落の地域コミュニティ
関川集落の地域コミュニティ
昔ながらの山里生活が今なお残る関川で、
各家庭と「関川しな織センター」が連携しながら、しな布の生産を続けています。
各家庭と「関川しな織センター」が連携しながら、しな布の生産を続けています。
「関川しな織センター」の発足
昭和60(1985)年、時代の移り代わりを経ても変わらず営まれてきたしな織を、村おこしの鍵にしようと考えた村人たちは、「関川しな織センター」を集落内に建立。運営主体の「関川しな織協同組合」には、集落の全家庭が加盟し、原料採取から糸づくりまでを各家で、その後の織りと商品加工をセンターでという、集落あげての分業スタイルを開始しました。