織る前の糸の写真

亀綾織の高度な手織り技術
通常の平織りは、経(たて)糸1本と緯(よこ)糸1本を交互に交差させて織るため、糸の組織が縦と横で構成されますが、亀綾織はどれも斜めに構成されています。これは、経糸と緯糸を交差させる際、その点が斜めになるようにする「斜文織」という技法によるものです。しかも、交差させる経糸と緯糸はそれぞれ3本以上を用い、地紋は足元の踏み木で踏み分けて作るため、15m織るのに2ヶ月かかるほどの高度な織り技術を要します。
文様写真(左から)「さや型」「りんず菱」「井筒菱」「八ツ橋」「八ツ橋」

機織りの作業の写真

「幻の織物」復興への歩み
この亀綾織の織り技術は、機械化が困難ということもあり、明治から昭和の戦後にかけては復興できませんでした。しかし昭和56(1981)年、亀綾織が国の「最上モデル定住圏における地域特産品の開発調査」に指定されたことにより、山形県が調査部会を設立。その翌年に県工業技術センター置賜試験場で9種類の地紋復元に成功し、「新庄亀綾織伝承協会」発足へとつながっていきました。一旦途絶えた亀綾織は、新庄の人々たちの積年の願いが叶い、こうして現代に蘇ったのです。