大石田町で花開いた鏝絵の世界
大石田は江戸時代、最上川舟運の河岸場として大いに栄えたところで、運送用の品を保存する土蔵が建ち並びました。同時に、川の水害によく見舞われたため、蔵を修復する大工や左官職人が大活躍しました。「職人の町」といわれる所以です。鏝絵はこうした環境を背景に、明治期に後藤家3代目の秀蔵が開始。優れた左官職人の間に広まり、「伊豆の長八」の下で修行した4代目市蔵によって、芸術の域にまで高められました。
全国の職人技を吸収してきた大石田の左官職人たち
鏝絵の技術を受け継ぐ伊藤富夫氏は語ります。「ひと昔前まで、大石田の左官職人は東京や大阪方面に出稼ぎに行ったものでした。そして、百数十人が集まる正月の左官組合総会で、出稼ぎ先で仕入れた情報や技を交換したものです。そういう環境が職人の技を高めさせたんでしょうね」。最上川流域に広まった鏝絵文化は、間違いなく切磋琢磨しあう大石田職人によって築かれたのでしょう。
「今は鏝絵技術を使う場がなくなった」という伊藤富夫氏は、漆喰塗りの技術が高く評価され、平成17年に国の卓越技能者賞に選ばれました。
写真提供/大石田町