江戸末期から昭和初期にかけて
日本一の「草履表」産地に成長
日本一の「草履表」産地に成長
最上川の支流・寒河江川が流れる寒河江市や河北町は、昔から豊穣な稲作地帯で、良質な稲が多く育っていました。その稲藁を使った草履づくりは、江戸末期、冬の副業に最適と、田宮家8代の五郎衛門が農民に教えたのが始まりで、明治20(1887)年頃に12代目の五郎がさらに普及。西村山郡では、どの農家でも草履表(ぞうりおもて)を作るようになり、昭和はじめには全国一の草履表産地に成長しました。
幻の稲藁品種「豊国」を使った
日本で唯一の本格手編み草履
日本で唯一の本格手編み草履
現在、寒河江市内で草履表を編める人は5名のみ。その草履表を「軽部草履」が商品加工して販売しています。また近年は、昔から草履表に最適といわれてきた幻の品種「豊国(とよくに)」を栽培し、その稲藁を使った草履づくりを開始。良質な国産稲藁を使った、昔ながらの手編み草履は日本でここだけと、本物志向の人や、時代劇を作るテレビ・映画関係者たちから注目を集めています。
●豊国草履 ●豊国さなだ草履 ●豊国サンダル ●豊国右近下駄
軽部草履